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新しい歌姫発見

12月2日

先日仕事をしながらラジオを聴いていたら、この曲が流れてきて手が止まりました。
歌手の名は成底ゆう子、曲は『ふるさとからの声』。http://www.youtube.com/watch?v=eUjoI-nq4y4
二人の娘が遠くで暮らしている私としては心に染みます。

さだまさしの『案山子』が都会に出た子供を思いやる唄なら、この唄は子から親への返答歌のよう。

出身は沖縄の石垣島。石垣といえば、大工哲弘、BIGIN、夏川りみ、やなわらばー(そういえばみんなCD持っています)などすてきな唄をうたうシンガーがたくさんいますが、彼女の『ふるさとからの声』も沖縄の風を感じる唄で、心の深いところに入ってきます。
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久しぶりに内田ボブを聴く

9月29日

ご近所の百々和(もものわ)農園http://momochiko777.cocolog-nifty.com/blog/のブログにナナオサカキの詩が載っていて、今日二人たちに会って、ナナオはよく大鹿に来ていたという話をしました。うちも大鹿に住んでいたので、何だか懐かしくなって、ナナオが書いた詩に曲を付けて唄っている大鹿の吟遊詩人内田ボブhttp://amanakuni.net/bob/top.htmlを久しぶりに聴いています。

彼と私は同じ歳。大鹿にいる時はよく生で彼の唄を聴きました。

1986年旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は史上最悪の事故で、放出された大量の放射能は現地ウクライナのみならず世界中をめぐり、ジェット気流に乗って日本にも降り注ぎました。当時世界は石油に代わるエネルギーとして原子力発電が推進され、我が日本も相次いで原発が新設されていました。

チェルノブイリの事故の前、1979年にアメリカではスリーマイル原発がメルトダウン一歩手前の大事故を起こし、メルトダウンしたら誰も止められず、地球を貫き反対側の中国まで達してしまうということで『チャイナシンドローム』という映画も作られたほどの大変な事故でした。

原発はいったん大事故を起こせば大変なことになる、電気を大量の使う今の生活を変えてもっと命の流れに沿った別な生き方をしたいと思うようになりました。

1960年代後半から「もうひとつの生き方」をしていたヒッピーたちや、有機農業者、反原発運動をしていた人たちなどが一堂に会して、1988年夏に八ヶ岳の富士見で一カ月近くにわたって「いのちの祭り」というのが開かれました。

この祭りにまだ東京に住んでいた私たち家族も友達と一緒に参加しました。
大鹿からもたくさんの髪の長い新村民が参加していて、一つの村を作って作っていました。
この祭りへの参加が、都会を離れて長野での今の生活を選択するきっかけを作ったのかもしれません。

内田ボブは、当時ローリングドラゴンというバンドを組んで『おお、チェルノブイリよ』という唄を唄っていて、この曲には大きな影響を受けました。

大鹿に来た当初はよくボブの唄を聴きました。
何かというと夜誰かの家に集まって酒を飲み、酒の席には必ずボブがいてギターを弾きながら唄っていました。
出荷農家になってからは、夜は早く寝る生活になり、夜に出歩くことは少なくなって段々ボブの唄を生で聴くことはなくなりました。

今日、久しぶりにボブの『どろ足のままで』を聴いたら、20年前に長野に来た時のことを思い出しました。


熊木杏里と沖縄

7月12日

消費税10%問題だけに終始した参院選が終わりました。
選挙前に管首相が提起した「最少不幸社会」も議論や争点にはなりませんでした。誰もが安心して暮らすことが出来る社会をどう作るのかということについて、政党間の真摯な議論はありませんでした。格差の底辺にいる人、基地の被害に怯え、苦しんでいる人、福祉の谷間でギリギリに生きている人、・・・・各政党はこうした人たちに、選挙で何を訴えたのか。
 
政治が責任を持って取り組まねばならない富の再配分を放棄し、財政再建のためということで、更に切り捨てる人を増やそうとしているのではないのか。


選挙権を得てから数えきれないくらいむなしい投票をしてきましたが、今回もそうでした。


今、テレビで各党の代表が議論をしています。つまらないのでウトウトして、普天間・辺野古の問題の話になって目が覚めました。選挙中は争点から外れ、沖縄選挙区以外では議論されなかった問題です。


話は飛びますが、長野県出身の熊木杏里がこんな唄をうたっています。「囃子唄」http://www.youtube.com/watch?v=KyrDGnSYpzQ&feature=youtube_gdata
切なくて、何だか懐かしい感じのする熊木杏里が好きで、「風と凪」というベストアルバムを買いました。これには「囃子唄」は入っていなかったのですが、今日初めてラジオで聴いて、YOUTUBEで聴き直しました。沖縄の基地の問題をストレートに唄っています。

YOUTUBEをみていたら、coccoの「ジュゴンの見える丘」http://www.youtube.com/watch?v=TwA-e3d-3qA
もありました。鳩の置き土産の日米合意で、普天間の移転先とされた辺野古の海のジュゴンを唄ったものです。

ソウル・フラワーユニオンの「辺野古節」http://www.youtube.com/watch?v=NJOyg6Fc518
もどうぞ。

森田童子を知っていますか

5月25日

今でも時々たまらなく森田童子を聴きたくなる時がある。森田童子は70年代中盤から80年代の初めにかけて唄っていた。彼女の『僕たちの失敗』が10年ちょっと前、テレビドラマの主題歌に取り上げられて再注目をあびたそうだが、コマーシャルが鬱陶しくて民放を観ない私は知らなかった。

森田童子は私と同じ1952年生まれ。団塊世代よりほんの数年遅く生まれたせいで、60年代後半の騒乱の時代に間に合わなかった。私が71年に大学に入った時は、大学当局と学生の力関係は逆転していた。それでもまだ学生運動の残党はいくつも存在していた。

体育会によるしごき殺人や良心的軍事費拒否の運動をしている教員の解雇問題、大学の傀儡学生会を改革する運動などがあった。学生大会で演壇に立った友達は、右翼学生の襲撃に備え、腹に週刊誌を巻いて決死の覚悟で発言していた。まだかろうじて学内で「革命」を語る雰囲気が残っていた。

沖縄返還は2年生だった72年だったし、ベトナム戦争はまだ終わっていなかった。私も先輩や仲間と集会やデモに参加した。しかし、いつも少数派であり、私の中では閉そく感や敗北感が支配していた。そんな中、精神のバランスを保てていたのは山登りをしていたためかも知れない。

少しして、人は坦々とした日常を生きるものであるということがわかって少し大人になった気がしたが、青い時代のことを思い出す時、森田童子の唄が同時に浮かんで、あの時代の自分がいとおしく、切ない気持になる。

森田童子は、カーリーヘアーと黒いサングラスで素顔を隠し、か細い声で絶望、挫折、死を唄う。未来や希望はひとかけらもない。時代は高度成長でいけいけゴーだったが、時代に反発する少数派の心情にぴったり寄り添った唄である。74年に初アルバムを出しているので、4年生の時に初めて聴いたのかもしれない。カセットテープ2本とCD1枚を持っているが絶版になっているかも知れない。


『僕たちの失敗』  http://www.youtube.com/watch?v=7H5555py7OA

ドラマ「高校教師」で使われた


『みんな夢でありました』  http://www.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w&feature=related

この曲の歌詞を聴くと、クラスの女子学生のことを思い出す。彼女は、火炎瓶取締法が施行される前日、お茶の水で機動隊と学生の市街戦がありパクられた。それから大学に来なくなった。後日談だが、それから15年以上たって、日比谷公園で開かれた全国規模の大きな反核集会で偶然出会った。少し言葉を交わしたが何だかとてもうれしかった。

高田渡

5月20日

2005年にコンサート先の北海道で倒れそのまま亡くなった高田渡。飄々とした表情で権力をおちょくり、庶民とりわけビンボー人への賛歌を唄う高田渡。時代が過ぎ、社会が変わってもその唄は色褪せず、亡くなった後も若いミュージシャンによって高田渡は歌い継がれている。
 
バンジョーやフィドルが入ったアメリカのブルーグラスの曲調で、ブルースからの影響であろう繰り返しの歌詩構成、添田唖蝉坊の演歌を継承した社会風刺。

一度だけ彼の唄を生で聴いたことがある。旅から旅へ、全国を唄い歩いていた時、飯田の県民文化会館で息子の高田漣を従えてのコンサートに連れ合いと聴きに行った。1000人くらいは入る大きなホールで、こんな田舎でどのくらい聴きに来るのかと思っていたが、無料だったせいか満員だった。

お勧めは  『生活の柄』  http://www.youtube.com/watch?v=Hr1_F9ZY9xo&feature=related  
アルフィーの坂崎幸之助と高田渡の後継者を自任するなぎら健壱が共演

        『系図』     http://www.youtube.com/watch?v=vbEbPbQ5RMc 


昔、よくコンサートやライブハウスに通い、メジャー、マイナーのミュージシャンの唄を聴いているので、これから時々お勧めを書きます。

亡くなってしまったけど、日比谷野音で開かれた反核の「アトミック・カフェコンサート」に家族で行った時、尾崎豊が唄いながらアンプの櫓の上から飛び降りて、足を骨折しながらも最後まで唄いきった現場も見ていました。これってすごいでしょう。




プロフィール

市川勝彦

Author:市川勝彦
長野県阿智村で有機農業をしているオジサンです。長野県有機農研新規就農相談窓口。長野県里親農業者登録。郵政ユニオンOB。体の半分は福島人。今年新たに始めたのは被災地支援米プロジェクトと、原発を止める活動。原発が必要と思う人は、自分の家の隣りの原発が事故を起こしても甘受しますか。農村から都市を包囲せよ!

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