東京に原発を
3月22日
『東京に原発を』。
86年のチェルノブイリ原発の爆発事故があっても、その後も原発の建設が止まらない状況の中で、ノンフィクッション作家の広瀬隆さんが書いた本の題名です。もう30年以上も前に発刊されました。
当時も今も原発を作る側の人は、「絶対安全で事故は起きない」 「万が一事故を起こしても何重もの安全装置があるので重大事故には至らない」と言っているのに、何故か全ての原発は主要な電力消費地から遠く離れた田舎に建っています。
そんなに安全な原発なら、消費地に近い東京に作った方が送電線も少なくて済むし、送電線からの放電ロスも少なくて効率的ではないか、ということを本で言っていました。
確かに東京湾や伊勢湾や大阪湾に集中して作れば効率的です。原発は安全だし、絶対必要というのであれば、広瀬さんの主張に反論の余地はありません。
ではなぜわざわざ無駄を承知で田舎に作るのでしょうか。それは、やはり作る側が絶対安全を信じていなかったからに他なりません。万が一を想定して、深刻な事故が起きた時、田舎であれば人口が少ないので被害が少ないというのがその理由でしょう。
残念ながらそれが今回の福島原発の事故で証明されてしまいました。
福島の原発周辺に住んでいる人はたまったものではありません。東北の福島原発で作った電気は、福島では使われず、長い送電線で首都圏に運ばれて使われていたのですから。
今テレビなどに出て、原子力発電でさんざん利益を得てきた東大原子炉研を頂点とした学者が、福島原発の事故は「想定外」だとか、放出された放射線や放射性物質について「当面深刻な影響はない」 「安心だ」とか言っても、彼らは一方の利害関係者であり、原発が無くなれば自分の職が無くなってしまうので、今起きている事態について全部本当のことを言うのか信用できません。
何より、今までの自分の研究に対する謙虚な反省がないまま、中立的立場のように話をするのは人格的に問題があると思います。いわゆる「専門バカ」なのでしょう。
本当に想定外の事故であるなら、彼らの学問のレベルを超えた事態であり、解説する能力も資格もないと思うのです。
『東京に原発を』。
86年のチェルノブイリ原発の爆発事故があっても、その後も原発の建設が止まらない状況の中で、ノンフィクッション作家の広瀬隆さんが書いた本の題名です。もう30年以上も前に発刊されました。
当時も今も原発を作る側の人は、「絶対安全で事故は起きない」 「万が一事故を起こしても何重もの安全装置があるので重大事故には至らない」と言っているのに、何故か全ての原発は主要な電力消費地から遠く離れた田舎に建っています。
そんなに安全な原発なら、消費地に近い東京に作った方が送電線も少なくて済むし、送電線からの放電ロスも少なくて効率的ではないか、ということを本で言っていました。
確かに東京湾や伊勢湾や大阪湾に集中して作れば効率的です。原発は安全だし、絶対必要というのであれば、広瀬さんの主張に反論の余地はありません。
ではなぜわざわざ無駄を承知で田舎に作るのでしょうか。それは、やはり作る側が絶対安全を信じていなかったからに他なりません。万が一を想定して、深刻な事故が起きた時、田舎であれば人口が少ないので被害が少ないというのがその理由でしょう。
残念ながらそれが今回の福島原発の事故で証明されてしまいました。
福島の原発周辺に住んでいる人はたまったものではありません。東北の福島原発で作った電気は、福島では使われず、長い送電線で首都圏に運ばれて使われていたのですから。
今テレビなどに出て、原子力発電でさんざん利益を得てきた東大原子炉研を頂点とした学者が、福島原発の事故は「想定外」だとか、放出された放射線や放射性物質について「当面深刻な影響はない」 「安心だ」とか言っても、彼らは一方の利害関係者であり、原発が無くなれば自分の職が無くなってしまうので、今起きている事態について全部本当のことを言うのか信用できません。
何より、今までの自分の研究に対する謙虚な反省がないまま、中立的立場のように話をするのは人格的に問題があると思います。いわゆる「専門バカ」なのでしょう。
本当に想定外の事故であるなら、彼らの学問のレベルを超えた事態であり、解説する能力も資格もないと思うのです。
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