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沖縄慰霊の日

6月23日 雨のち曇り



20100623.jpg 

雨の日にはアジサイ。去年このあじさいは確かピンクだったはず。


20100623b.jpg 

日陰に密やかに咲くヤマアジサイも好きです。


今日は「沖縄慰霊の日」です。1945年(昭和20年)の6月23日、太平洋戦争最後の激戦地沖縄で、日本軍による組織的戦闘が終わった日であるとてし、この日に制定されました。


しかし、沖縄守備隊の司令官牛島中将は、上陸した米軍によって沖縄南部の糸満市摩文仁に追い詰められながらも、大本営から天皇の住んでいる本土死守の命を受けていたので、降伏をしないで自決しました。司令部が消滅したあとも、米軍と日本軍の戦闘は終戦の日まで続き、犠牲者は増え続けました。


日本軍による住民虐殺、集団自決の悲劇も数多く起き、正確な数はいまだに分かりませんが、沖縄戦では20万人が犠牲になったといわれています。軍人よりも住民の犠牲者の方が多く、沖縄住民の4人に1人が亡くなったということです。


沖縄は本土防衛の時間稼ぎのために捨て石にされたのです。
戦後は1974年まで米軍に占領され、東西冷戦下、対中ソの最前線基地として住民は銃剣とブルドーザーで土地を奪われ、島全体が要塞化され、米軍支配のもとで沖縄の人たちはまた苦しむことになります。


復帰後も、基地はそれほど減らず、基地依存のいびつな経済を脱することができない中で、基地の被害と低い賃金、高い失業率のもとでさらに苦しみは続くことになります。


米軍の占領下、日本への復帰運動をにない、復帰後コザ市(現沖縄市)市長を4期務めた大山朝常氏は「ヤマトは帰るべき祖国でなかった」とし、『沖縄独立宣言』という本を出しました。


そして今、普天間の移転問題で、結局沖縄県内の辺野古に基地を移設するということが日米の政府によって合意されました。管新総理も就任早々、沖縄の意思よりも日米合意を優先すると宣言しました。一体いつまで沖縄の苦しみは続くのでしょうか。


沖縄慰霊の日に当たり、戦後65年も続いている沖縄の苦難を解消するためには、本土の人間は何をなさねばならないかについて深く考えさせられました。
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市川勝彦

Author:市川勝彦
長野県阿智村で有機農業をしているオジサンです。長野県有機農研新規就農相談窓口。長野県里親農業者登録。郵政ユニオンOB。体の半分は福島人。今年新たに始めたのは被災地支援米プロジェクトと、原発を止める活動。原発が必要と思う人は、自分の家の隣りの原発が事故を起こしても甘受しますか。農村から都市を包囲せよ!

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