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復興市場と被災地支援ファンド

12月27日

被災地に行けない方のために、インターネット上ではこういう応援の仕方もあります。

復興市場    http://fukkoichiba.com/

支援物資を必要としている方に、地元の商店で物資を買って届けてもらうという応援の仕方です。お金が少しでも地域で循環することで、地域経済の再建に資することにつながる取り組みです。

私は、漁業用のカッパを購入しました。南三陸のお店で買い物し、石巻の漁師さんの元に届けられることになります。



セキュリティ被災地応援ファンド    http://oen.securite.jp/

一口10500円を出資して、再建を目指している事業を応援する取り組みです。
政治の無策で、津波被害で事業が再建できずに廃業に追い込まれた店や工場が多いと聞きます。
事業が再建できなければ、雇用は失われ、そこでの生活は困難になってしまいます。
みんなで少しづつ出資して、賛同者がたくさん集まれば大きなお金が集まります。

応援したいお店や会社を自分で選ぶことができます。私は八木澤商店しょうゆ醸造 http://www.yagisawa-s.co.jp/index.html に出資しました。


他にもたくさん被災地を応援するWEBサイトがあると思います。

「I love you & I need you ふくしま」

12月21日

私のアイデンティーの一部に福島があるとは、3・11までは思いもしなかった。
母は福島中通りの須賀川の出で、9人兄弟なので、今でも叔父や叔母、たくさんのいとこが福島で暮らしている。

私は小さい頃は体が弱かったので、毎年夏になると磐梯山周辺の中ノ沢温泉、土湯温泉などの温泉宿に一ヶ月くらい泊まっていた。

その懐かしい福島が津波に襲われ、放射能におかされた。
今、福島の人は見えない放射能の恐怖の中で、避難するにしろ、県内に留まるにしろ、去るも地獄、残るも地獄の苦難の中を生きている。

事故が起きるまでは積極的に原発を擁護してきた現知事が、それ故、起きた事態の深刻さを理解できないのか、各自治体で二ヶ所ずつしか検査しないで米の安全宣言を出したあと、農家の自主検査によって500ベクレル超の米が相次いで見つかって慌てている。
これはまさに行政の無策そのものである。ろくに検査をしないでの米の安全宣言は、かえって福島産米への不信感を増幅させることになった。

行政の怠慢の一方で、放射能に汚染された農産物の流通を防ぐために、農家の自主的判断で、自費で放射能を測り数値を公表する動きもある。市民放射能測定所も作られた。
また、比較的汚染レベルの低い農地では、除染や耕し方の工夫で、作物に放射能が移行しにくい方法で農業を続けようとする模索が始まっている。

こうした福島の人たちの努力を認めないで、ツイッターでは、放射能への恐怖から福島というだけで、問答無用で人も農産物も拒否する人が多く見られる。
彼らが本当に向かうべき相手は、事故を起こして大量の放射能をまき散らした東電であり、事故後の無為無策で、事故を拡大した政府であるにもかかわらず。

こんな時、「猪苗代湖ズ 」というグループ  http://www.inawashirokos.jp/ の『I love you & I need you ふくしま』という曲が心に響いた。
阪神・淡路大震災の時、「ソウル・フラワー・ユニオン」の『満月の夕』が多くの人たちの心に寄り添ったように、『I love you & I need you ふくしま』は、私のこころの深いところに届いた。福島へのアイデンティティーを感じさせてくれた歌である。

「猪苗代湖ズ 」にボーカルで参加しているサンボマスターの『I love you & I need you ふくしま』http://www.youtube.com/watch?v=TbP1TtTSKLI&feature=related

南三陸町、気仙沼市訪問記③

11月30日

昨日の続き。


11月26日




20111125e.jpg 

宮城県と岩手県の県境は、東西に少し放射能の数値が高いことが分かっている。
教会の雨樋の下を計ったら、2.85μシーベルト。
地上1メートルでは0.13μシーベルト前後なので、ここでは雨樋下だけがホットスポットになっている。
山本さんも気にしていて除染すると言っていた。

近くの田んぼの水路の落ち葉がたまっている所の線量もやはり高く、除染が必要だと思うが、地元の農家も行政も気づいていないかもしれない。
放射能は東電の迷惑で危険な落し物なので、落とし主が責任を持って引き取るべきである。


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朝10時から「ネットワーク・オレンジ」で支援物資の配布が始まった。服はハンガーに吊るしたり、机に並べたりして必要な人に持って行ってもらう。
前日に作った支援品の100袋を配布したら終了。 仮設住宅に移って、服や食器が不足している方も取りに来ていた。
お米は保存できるので、いくらあってもいい感じだった。
 

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今日、鹿折地区に復興屋台村がオープンするというので見に行く。
地震の影響で海岸地帯は沈下していて、水たまりが多い。場所によっては泉のように水が湧いている所もある。1メートル近く地盤沈下している感じだ。このままでは上に建物は建てられない。土地のかさ上げと、排水工事が必要だ。

沿岸部は全ての所で地盤沈下しているので、人・モノ・金の集中がなければこの事業は行えない。これを震災で疲弊している自治体が単独でやるのは無理だろう。国が前に出てやらなければ早期の復旧・復興はできそうもない。

いまだに手信号で交通整理をしているお巡りさんの話では、予算がないので信号が付かず手信号でやっているとのこと。
もう震災から9ヶ月近くたっているのにこれはどういうことなのか。国の予算の執行が遅れているのか、それとも県や市町村にお金が降りてくる間で詰まってしまっているのか。
進まない復興の原因のひとつに政治の不在がある。TPPなんぞにかまけている暇はない。即刻やるべきは、被災地の復旧と復興だ。
今、政治がやるべき優先順位の第一は、被災地の復旧と復興であることは現地に来てみればわかるはずだ。

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復興屋台村「気仙沼横丁」。
オープン初日とあってたくさんの人が来ていた。ずっと、賑わっていて欲しい。
今度気仙沼に来るときは、是非ここで飲みたい。

ここに来る途中、何軒か営業を再開している商店があり、そのうちの一軒の蒲鉾屋さんで買い物をした。
店の再建は嬉しいことだ。でも、一方で再建で出来ずに廃業する店もあるだろう。何割くらいが再び店を開くことができるのだろうか。
資金力のない個人商店の自力再建は困難ではないのか。
震災前と同じ商店街の形に戻すのは難しいと思う。

気仙沼といえばカツオだが、漁が始まるまでに何とか船が接岸出来る岸壁と施設を復旧させて漁期に間に合った。
夏に気仙沼にあがったカツオを世話になった人が送ってくれた。人生で最高のカツオを食べた。
今、岸壁にはカツオ船にかわってイカ釣り船が並んでいる。漁が再開された姿を見るのは嬉しいことだ。漁業が復興しなければ気仙沼の再生はないのだろう。

気仙沼から室根に行く途中に「牡蠣の森を慕う会」の看板を見た。
三陸で牡蠣を養殖している漁師が、牡蠣の不漁が続いて、その原因は痩せた山にあることを突き止め、山の荒廃を憂える山の民と一緒に木を植える活動を始めたという話を昔きいたことがあった。
看板を見て、その場所が気仙沼であったということを知った。
山に木を植えている漁師の畠山重篤氏の養殖いけすも津波で全滅したそうだ。でも、豊かな山が戻り、生活の場の海がある限り、必ずいけすはまた再建されるだろう。 


 
午後は、前浜地区へ向かう。

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前浜に行く途中、津波に襲われた気仙沼向洋高校。三階まで津波が到達し、一部は四階も破壊されている。

津波で一帯が廃墟になった所で出会った自転車のおじさんと話をしたら、おじさんは防寒着の支給を受けに行った帰りで、親族5人が津波で亡くなったという。
この地区には高いところがなく、海から少しだけ高い場所が避難所になっていて、そこに避難した94人が津波に飲み込まれたという話をきいた。
確かに気仙沼では珍しく海岸線に平が広がるところで、ここから高く安全な場所に避難するには時間がかかりすぎる。避難弱者が逃げ遅れてしまう条件が揃っている。


連れ合いが関わった石巻と気仙沼のボランティアは、ルーテル教会の縁で行かせて貰った。

前浜地区は、仙台の教会を現地拠点にしている ルーテル教会が継続的にサポートに入っている地区ということで、現地スタッフの佐藤さんから声をかけていただき訪れることになった。
連れ合いが阿智の祭りで、前浜の方が作っているクリスマスカードを販売したこともあって、作った人に会えるのも楽しみではあった。



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前浜地区の祭りは仮設住宅で行われていた。
3・11のあの日に本当は祭りが予定されていたという。それが津波でできなくなり、今日開催されたのだと。



20111126d.jpg  気仙沼にあがったサンマ

行ったのが遅かったので、もう祭りは終わっていたが、思わぬご馳走をいただくことになった。



20111126e.jpg  カジキマグロの刺身

凍らせてから解凍したのではなく、生を刺身にしたもの。
脂がのっていてうまかった。

前浜にはご馳走を食べに行っただけのようで、申し訳ない気がした。

夜は室根の教会で、ルーテル教会の佐藤さんも加わり交流。
聖公会、ルーテル教会とも2~3年という長いスパンでの支援の体制をとっているという。支援の対象を具体的に決めて、長期的に支援することはなかなか出来ることではないと思う。 

避難所が閉鎖され、被災者が仮設住宅に移ったが、このことで被災者が抱える様々な問題が見えにくくなったという。
震災前の同じ集落に仮設ができて、そこで知った者同士が暮らして行ければ問題は少ないのだろうが、津波で被害を受けた場所での仮設建設は出来ない。

三陸は平地が少ないので、大規模な仮設を作る場所が少なく、分散して住まざるをえない場合が多い。そうなると、震災前の住民同士の付き合いから分断されて、しょうがいを持った人や、高齢世帯などが孤立状況になりかねない。

気仙沼市民のための仮設が隣県の一関にも建てられていて、そこで暮らす人たちは大変だと思う。



27日


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お世話になった聖公会の山本さん。



20111127a.jpg 

ルーテル教会の佐藤さん。

山本さんと佐藤さんは若いが色んな経験をされていて、私とは親子ほどの年の差があるが、話していてすごく波長が近い。こういう方たちの継続的活動は、被災地にとっても大きな力になっているのだろう。最前線で活動されているお二人に尊敬の念を感じた。
心身ともにハードな仕事なので、体を壊さないでやっていって欲しいと思う。



今日は阿智に戻る日だが、真直ぐ帰らず、少し寄り道して、岩手の陸前高田と大船渡も見てから帰ることにする。

20111127c.jpg イカ釣り船

大船渡。
沈んだ岸壁を少し嵩上げした所にイカ釣りの船が並んでいた。
近くには冷蔵施設もあって、イカ漁が再開されている。

20111127d.jpg 分別された金属のガレキ

ここも大船渡。
鉄筋の頑丈な建物だけが残り、あとは何もない更地が広がっているだけ。



志津川から大船渡まで、海水に浸かった田んぼの除塩工事は行われていなかった。
素人考えだが、短時間の海水の浸水だったので、それほど多くの塩分は田んぼに残っていないはずだと思う。

塩は水に溶けるので、水路が生きているのなら、塩分がどのくらいの深さまで染み込んでいるのかを調べて、その深さまでロータリーがドライブハローでかけ流しをしながら何度か代かきすれば、塩分は逃げていくのではないだろうか。

この時期に何も行われていない状況で、これから冬を迎えて、果たして来年の作付に間に合うのだろうか。


全体を通して感じたことは、ガレキの片付けはほぼ終わった段階だが、その後の復興の歩みは極めて遅い。
予算的なもの、地域ごとの復興の青写真が決まらないなどいくつかの要因によっての遅れだと思うが、被災地の再建、再生がなされるまでの間、社会的な生活困難者・困窮者にしわ寄せが行くような気がする。

仮設がそれまで住んでいた地域から切り離され、しかも分散して建てられている状況では、こうした人たちの存在をまわりが気づくことができなくなる可能性が大きい。

阪神・淡路の教訓をどう活かし、孤独死などを起こさない取り組みをしていったらいいのか。
行政と住民自身が取り組まないことには始まらないが、阪神・淡路を経験したボランティアとの連携も大事かもしれない。


今回みんなで作ったお米を被災地に届けて、「支援米プロジェクト」としては一つの区切りがついた。
しかし、自分としては一つ役割を果たしたものの、重い宿題を持ち帰ったような気がする。
色んなものを見て、色んな話をきいて、これから長い時間続く復旧・復興とどう関わったらいいのか、これからじっくり考えて行かねばと思う。

今回支援物資を寄せていただいた皆さん、そして、現地でお世話になった聖公会の山本さんとルーテル教会の佐藤さん、有難うございました。 

南三陸町、気仙沼市訪問記②

11月29日

昨日の続き。

11月25日朝、東北道を築舘インターで降り、一般道をひたすら東に向かう。最初の行き先は南三陸町の志津川地区。

三陸のリアス式海岸は、大昔、陸が海に向かって沈んだ地形なので、海沿いはギザギザの地形。ギザギザの頂点は尾根、低いところは川。川が大きければ河口付近は堆積物がたまって平が広くなり、そこに大きな港が開け、たくさんの人が住むことになる。小さな川なら、逆に平は小さく、結果、港も小規模で、住む人も少ない。

高いところの尾根は、湾を作り、尾根が高ければ湾は奥行が深くなる。 尾根の特に高いところは島になり陸地が残る。
こうした三陸の地形的特性に規定されて、今回の津波は、湾が大きく奥が深くて平の広さの大きいところほど被害が大きい。
 

20111125a.jpg

最初に、志津川でボランティアをしている「さかなのみうら」さんと一緒に活動している嶋津さんに会い、お米150kgと林檎3箱を届ける。嶋津さんは仙台に家があるが、今は志津川に泊まり込んで支援活動に取り組んでいる。こうした人が被災地にはたくさんいるのだろう。頭が下がる。

「さかなのみうら」さんは港近くの店が被害にあって、自らも被災者であるにもかかわらず、「ふんばろう東日本プロジェクト」と組んで、被災者救援活動に取り組んでいて、今は仮設住宅や個人非難宅に支援物資を配っている。

仙台など大都市であれば何とか仕事につくことができるが、この地区は港が復興して、漁ができるようにならないと生活は再建できないという。
地域の事情に精通する地元の方が支援活動をしているので、どこに支援を必要とする人たちがいるかもよく把握されている。
「さかなのみうら」さんと嶋津さんの活動はまだ続く。


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支援物資を届けて志津川地区の海に着いたら、突然、途中で寸断されたJR気仙沼線の高架が目に飛び込んでくる。あんな大きな頑丈なコンクリートの塊まりすらなぎ倒してしまった津波の力に驚く。


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志津川駅は少し高い所にあるが、津波にやられていた。


この地区のガレキの片付けは終わっていて、鉄骨の骨組みだけになった建物と、コンクリートの基礎を残すだけの平が広がっていた。重機もあまりなく、人の姿も見えない。復興は止まっているように見える。再建されたのはコンビニ一軒だけ。
南三陸町の役場は鉄骨のみを残すだけの無残な姿をさらしている。

どこまで津波が来たのかは、平の両側に植えられた杉が茶色く枯れているか、緑かで推測される。
竹と広葉樹は津波の塩害に強いようで、枯れていない。
一段高い所に家が一軒あり、この家はかろうじて津波の被害を免れたようだ。
これからずっと目にすることだが、津波の被害や生死を分けるのはほんのちょっとした違いだけ。津波の到達域や高さから外れるか外れないかでその後の運命に決定的な違いが出る。運命は無情だ。


20111125b.jpg 

志津川をあとにして気仙沼に向かう。
気仙沼で最初に物資を届けるのは、連れ合いが一ヶ月手伝いをしていた鹿折地区にあった老健施設の「リバーサイド春圃」。名前の通り川沿いにあった施設はもろに津波を受け、入所者していた高齢者の多くが亡くなる。
助かった入所者は、最初は小学校の避難所、次に病院の空部屋の避難所、今は別の病院の空きスペースの避難所に仮住まいしている。

連れ合いが手伝ったのは二箇所目の病院。
スタッフと久しぶりに会う。今のところは狭く、食事をする部屋と台所と寝る部屋が同じで、風呂も家庭のユニットバスでリフトもなく、入所者も職員も大変な環境の所。
再建には二年くらいかかるそうで、それまではここでの仮住まいでケアをしなくてはならないとのこと。


20111125c.jpg 

次に向かったのは同じ鹿折地区の「NPOネットワーク・オレンジ」。元の場所は津波にあって、今は同じ地区で被害がなかった場所に移って再開。
ここも連れ合いの縁で、今回物資を届けることになった。

鹿折地区は、湾の一番奥にあって津波の被害がひどい。
でも、ここも海から真直ぐのびる道沿いは、津波の勢いをまともに受けてメチャメチャに壊れているが、道が直角に曲がった途端に被害はない。道路の角が運命の分かれ道になっている。



20111125g.jpg 

「ネットワーク・オレンジ」は震災直後から被災者に救援物資の配布を行なっていて、今も定期的に行なっているということで、明日の配布に向けてお米を小分けしているところ。
小分けしたお米と林檎、柿、タオル、おもちゃを一つの袋にまとめる。

暗くなるまで作業をして、今夜と明日の夜にお世話になる日本聖公会室根聖ナタナエル教会に向かう。
教会は岩手県一関市にあるが、一関市は広域合併で気仙沼市に隣接している。教会のある室根から気仙沼市内には車で20分くらい。
室根聖ナタナエル教会は、日本聖公会が取り組んでいる東日本大震災被災者支援活動「いっしょに歩こう!プロジェクト」の現地拠点になっていて、ボランティアの受け入れもしている。
今夜は、ここを管理されている山本尚生さんのお世話になる。

続く

南三陸町、気仙沼市訪問記①

11月28日

24日夜から27日まで、宮城県南三陸町と気仙沼市に物資を届けに行ってきました。
これからブログに報告していきます。


20111124a.jpg 

24日
車に満載した支援物資の前で出発前に記念写真。左から阿智ファームhttp://shinagawa0141831296.blog57.fc2.com/の品川君、連れ合い、青見平の玉子屋さんhttp://aozoratamago.blog90.fc2.com/の絹田君、地域おこし協力隊の牛丸君。みんなで作ったお米以外にも寄せられたリンゴ、柿、タオル、防寒着なども積み込む。

総勢5人。翌日朝に現地入りするため、夜通し走る。

長野から新潟に出て、会津を抜けて郡山から東北道を行くルート。
新潟から福島に入ると、冬型の吹き出しのため雪が降り始める。タイヤはスタッドレスに替えていたが、荷物満載、FR車のため雪道は怖い。

猪苗代を過ぎ、郡山に近づくと持参しているガイガーカウンターの数値が上がり、3μシーベルトを超える。数値を通して放射能を実感する。この線量の下で暮らしを余儀なくされている人たちのことを思う。原因を作り、その後に当事者としての責任を果たしていない東電や政府に怒りを感じる。


続く
プロフィール

市川勝彦

Author:市川勝彦
長野県阿智村で有機農業をしているオジサンです。長野県有機農研新規就農相談窓口。長野県里親農業者登録。郵政ユニオンOB。体の半分は福島人。今年新たに始めたのは被災地支援米プロジェクトと、原発を止める活動。原発が必要と思う人は、自分の家の隣りの原発が事故を起こしても甘受しますか。農村から都市を包囲せよ!

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